三月一日 金曜日の日記

コロナウイルスで苦しんでる間にもう三月に入ってしまった。今月の二十日はいつもぶいちゃで仲良くさせてもらってる方々とオフ会をすることになっている。その日が楽しみだな。

そして僕はその日にオフ会に行けるよう、しっかり体調を整えなければな。治った直後にまた病気になっては世話無い。気を付けよう。

 

さて、今日はコロナで勿論仕事にも行けず、暇を持て余していた。故に葬送のフリーレンを観ていた。今日は十三話から十八話まで一気に観た。どの話も素晴らしく面白いが、自分としては十六話のフォル爺回がすごく心に来た。フォル爺は恐らく、昔生きていた嫁のことを生涯忘れることはないと思っていた時期もあったのだろうと思う。だが時の流れがそれを許さず、そんな大切な記憶さえ押し流していく。本当に、「時」というのは残酷なものだ。人がどれほど偉大な功績を残そうとも、いずれその者は時の流れと共に忘れ去られていく。その者の本来の功績や人格は時が経つと共に人々が何かしら形を変えてしまう。それが続いていく内に、いつしか何が本当か嘘かわからなくなり、本来のその者を知る者もやがて死に絶え、そして忘れ去られていく。永遠などは存在せず、どんなに長く伝えられようとも、必ずいつか忘れ去られる。

だがそれでも、長寿であるフリーレンは「フォル爺の記憶も私が未来に連れて行ってあげるからね。」と、そんな言葉をフォル爺にかけるのはすごく優しく、尊いなと思った。いつか忘れられるとしても、フリーレンだけはフォル爺のことを覚えてくれている。それだけでもフォル爺はとても嬉しいだろうなと思う。

最後に、フォル爺が忘れていた嫁の声や顔、眼差しを夢を見て思い出したのはすごく救われたなと思う。よかったね、フォル爺。

 

それと、暇だから音楽鑑賞もしていたんだが、ニコニコで曲を聴いていたら広告が流れてきて、「ちっちゃな私」という曲が流れた。たったの十五秒だから一瞬ではあったが、聴いた瞬間に心を打たれたので聴こうとしていた曲を聴かずに、すぐにそっちの曲を聴くことにした。

結論から言うと、すごく僕の好きな曲だった。苦しさと、それを上回る優しさを僕は聴いてて感じた。本当に素晴らしい曲だった。機会があれば他の人にもこの曲を紹介したいくらいだ。聴いてて涙が出そうになるし、聴いた後はすっきりした気分でまた頑張ってみようと思える曲だった。見事僕のお気に入り楽曲の仲間入りとなった。嬉しい限りだ。

 

その後はVRChatにinした。何やらフレンドのウロさんとぴるさんが気になるBarイベントに行っていたので僕もお邪魔した。無言勢の男性アバターがキャストのイベントとのことだ。

最初は喋ろうと思ったのだが、雰囲気に流されて自分まで無言で通すことになった。たまにはこういう場所も悪くはないね。気に入ったかも。フレンド申請を送ったので、また来週やってたら行くかもしれない。Bar、Cafeイベントを巡るのは好きだからね。

 

まぁ今日はこんなところかな。今日の日記は終わりで。明日も元気に過ごせることを祈ろう。ここにきて症状が悪化するなんてことはないだろうが、まぁ一応警戒はしておこう。